粋な安西水丸さん逝く

朝日新聞digital
http://www.asahi.com/articles/ASG3S73FNG3SUCLV00V.html

10年以上前、安西水丸さんとお目にかかりました。
一番町の今はなきフランス料理のお店、いわゆる気取らないパリのブラッスリーのようなお店 "Aux Bateaux Ivres"でした。
何回か水丸さんと他の文化人の方々の会話に参加させていただきました。
先日大掃除のときに、当時の安西さんとの写真が出てきてふと思い出したところでした。
当時、私は大学6年生。大学病院の臨床実習の合間に、国家試験の勉強、そしてアルバイトと忙しい毎日でした。そして一人暮らし。
夕食もワンルームマンションの一室で軽く食べる程度でした。もちろんフレンチに行く余裕などありません。
そのお店は私のマンションの数軒となりでした。
オーナーシェフの良平さんが「いいお客様」がいらっしゃるとお店を閉めた後に社会勉強になるからと声をかけて下さったのです。
砂漠の中のオアシスのような時間でした。
大のフランス好きだったので、フランスのピアニストがサントリーホールの後に立ち寄った際には呼んで下さったり、と。
様々な政治家、文化人が集まるお店だったので20代の私には実に刺激的でした。
そんなお客様の中に、安西水丸さんがいらしたのです。当時、"an an"で連載を書いていらっしゃるとのことで紹介していただきました。
お店を閉めた後で、ワインを御馳走になりながら4、5人だったと思います。
夜遅くまでまるでテレビの対談番組が目の前で繰り広げられているかのような、素敵な会話に参加させていただきました。
ヒトの成長は、どれだけ素敵な大人の中にいるかで、決まると、誰かが言ってましたが、大学や病院以外の粋な大人達をみる貴重な経験でした。
そして翌週のことでした。
良平さんから声がかかり、降りていくと"an an"が。
そこには私を題材にした素敵なエッセイとイラストがあったのです。
名前は少し変えていましたが、それは私への配慮だったようです。
番町で出会った医者の卵と新橋の芸者さんを絡めた素敵なエッセイでした。
20代の先の分からない希望以外何もない私には素敵なプレゼントでした。
自分に様々な経験をくださった方々が逝ってしまうのは本当に寂しいものです。