「子供がいなかったら先生は何しますか?」

一昨日は赤坂のちょっとした居酒屋で、産業医をさせていただいている会社の人事の女性二人と、わけあって少し遅い新年会。
島根の喉黒をつつきながら、ワイワイと世代格差の大きい「女子会」となりました。
そこで、私も娘が中学生になって、随分自分の仕事に意識を向けることができるようになったという話になったのです。
子供がいると、業務時間内の仕事はできても夜のお付き合いは子供が家で一人で待っていると思うとなかなかできず、
先日学生時代の友人も、子供が小さくて家において夜出かけられないから接待が思うようにできないとこぼしていました。
小学校に子供が入ったらもっと思うように勉強会や接待などに参加できると思っていたのに、実際は子供の勉強も多少は見てあげないと大惨事になり、母として自己嫌悪に陥る羽目になるし、夜遅くまでお留守番は可哀想であまり出かけれないものです。
それなのに、中学生になった途端、さらに一つ大きな重荷が急になくなった感じがしました。
食事は置いておけば一人でもふつうに食べるし、勝手に冷蔵庫から出してチンしてくれる。
そして、勉強については流石に親が手を出すのは逆効果になり兼ねないので、成果の管理に留め、プロセス管理は最低限に留め、
若干、部下の管理教育を家庭で実践している感覚になってくる。
実に小学生とは大違いなのです。
そんな余裕が出たせいか、
「昔の自分を少しでも取り戻したい」などという、女性外来の中年から更年期世代でよく聞くフレーズが自分自身の心のなかにも出てきていました。
そんなときに20代と30代の人事女子に
「いま子供がいなかったら先生は何しますか?」
と単刀直入に聞かれたので、ちょっと戸惑ってしまいました。
酒の入った頭ながらかなり真剣に考えてみたところ、今の自分のキャリアは「子供がいるから」という前提のもとに成立していることに気づきました。
そもそも子供がいなかったら、もっと自由に仕事ができると思っていたのに、いなければ、今頃日本にいるかもわからないし、実は自由すぎる生き方を選択して仕事はテキトーに恋に生きていたかもしれない。
経済的モチベーションも子供がいなければ下がるだろうし。
実は、私をこんなに真面目な仕事に淡々と向かわせていたのは娘だったのかもしれない!

子供が大学に入ったから、自分も大学や大学院に通い始めました、などという話は最近よく耳にします。素晴らしい子離れと自立だと思います。
子供を育てあげ時間的、精神的に余裕ができた女性が子育てのためできなかったことをやってみるのは長い人生を充実させるために必要なことだと思います。
「私の人生は何だったんだろう」などと過去を振り返ったり、自分探しを始めることは誰でもあります。
子供がいる満足感よりも、いなかったときの自分の人生を思い描くことは特に高学歴の方に多いようです。
子供が巣立ち気が付いたらもうこんな年齢、と後悔するよりも、
子育ての負担が軽くなって行く過程で、節目節目で自分の生き方をまめに見直して、今できることを再確認し「やりたいことを行動に移していくエネルギー」と「子離れ・自立の勇気」が必要なのかしら、と感じてます。