短大授業最終日:仕事の大切さ、仕事は全てではないけど大切な要素

今日は短大授業最終日だった。
試験をし、その後最後におまけのような授業。
認知療法を紹介した。
すでに就職活動している彼らを見ていると、心から就職して頑張ってほしいと思うし、どんな形であれ社会に参加していてほしいと思う。
引きこもり人口は数百万人などとも言われているが、隠れ引きこもり(就職しているが引きこもり状態にあるもの)も含めるとかなりの数になろう。
就きたい仕事がないなど理由は様々であろうが、とにかく何かやってほしいと思う。
どんなにかっこいいことを言っても、学生をやっている人は別として、
20代-30代の時間を生計を立てること、将来のために使わないのは、金銭的価値だけでない
多大な損失だと思う。
20年ほど前からフランスでは高学歴者の失業が問題となっている。
大学に何となく戻ってくるパターンも多い。
これと、引きこもりを比較するのはどうかと思われると思うが、実は彼らも就こうと思えば
できる仕事はあるのだが、自分はそんなことすべき人間ではない、という考えのもとに自宅にいることも少なくないのだ。
それぞれ引きこもりにも事情があるので一概に言えないが、
他人の仕事を見下す暇があったら、少しでもやってみたらどうかと思う。
若い社員の退職を見ていると、女性社員の方が前向きであることが多い。
留学だったり、スキルアップのためだったり、ネイルサロンを開くなど、様々な選択肢を上手に選んでいるケースをよく目にする。

「仕事に重点を置くことほど個人をこれほどしっかり現実につなぎとめる処世術は他にない。というのも、仕事は人に、少なくとも1つの安全な場所を、現実のある部分、つまり人間社会の中に与えるからである」
シグムント フロイトの言葉だが、仕事内容はもちろん好きなことに越したことはないが、
好きなことでないから、自分のためにならないからと言って辞めるものではないと思う。
辞めるならばそれなりの目標をもって辞めるべきだろう。
ただ、仕事をなくしたとき、また仕事ができない身体になったときの「不安定さ」へ覚悟がない20代を目にすることが最近多く、その感覚を持ってほしいと思うことが時々ある。
仕事は、健康、幸福、そして経済的・社会的安定性につながるのである。
これはどの時代でも基本的価値だと思うのだが・・・。