社員の権利

産業医として、社員一人一人をみるときに感じることは、臨床現場との違いである。
臨床では、100%その患者さんの味方にならなくてはいけないし、自然にそのような気持ちで診察している。
これは、臨床から保健所勤務になった医師、そして、産業医になった医師それぞれの問題で、
地域全体、会社全体を見れないという欠点が浮き彫りになる場合がある。

例えば、メンタルの不調の社員がいて、その社員を異動させるか否かの判断を迫られたケースを考えてみる。
当該社員は職場での不適応から適応障害になったする。
産業医の私のところにくるときには、主治医の診断書をもってきてあたかも「お墨付き」をもらい、
部署異動してもらえるのが当たり前、その「権利」が自分にはあると思っていることがしばしばある。
医師としてもちろん必要と判断すれば「異動が望ましい」と意見書に記載し、ときには強く人事に懇願する。
しかし、もちろんのこと、すべて通るわけではない。
私としては、当該社員には産業医の意見のもとに、「最終的には会社が判断するものです」、と説明するわけだが、
しばしば健康上の理由なのだからと、強く「権利」を主張されてしまうことがある。
ところで、「権利」とは何だろう。
労働者の権利を主張するために、労働組合に飛び込む社員もいる。労働組合は対「使用者」の話である。
しかし、私は社員一人ひとりを見ているため、
労働者の権利を対「その他の労働者」の視点で感じていることに最近気づいた。
憲法に「公共の福祉」という言葉があるが、「人権と公共と福祉」という表現を
以前、法律の勉強をしているときに習ったことがある。
人権とは無制限なものではなく公共の福祉による制限を受けるというような意味である。
場の設定は全く違うのでこんな言い方すると非難されそうだが、
ある種社内に「公共の福祉」による制限のようなイメージが浮かぶ。
当該、労働者があまりにも権利主張が強くそれを受け入れた場合、
他の労働者も同様の権利主張することも論理的には可能になるわけだが、
不調にならないと受け入れられないのだ。
会社の事情で、異動先の見つかりやすい社員には対応し、そうでない社員の要求は受け入れないというのは仕方ない。
しかし、目に余るのは自分のやりたい仕事をしたいがために、
経理部でないと自分は仕事できない」などとやりがいのある部署への異動を主張する場合である。
これはあくまでも労務問題になるわけで産業保健で扱うものではないが、
「病気」がからむので私のところにくるのだ。
他の社員はやりたくない仕事でも部署異動を受け入れてもらえなくても頑張っているのが通常なので、
産業医として客観的にみれば、「他の社員の権利」が脅かされているような気がすることが度々ある。
産業医は医師の性質上目の前の社員に夢中になり、その人のために、と頑張りがちだが職場全体、また、他の社員の顔も浮かべながら仕事をして行かないといけないと思う。