「たったひとりのワールドカップ」から南アフリカW杯へ...海外で挑戦するということ

現在ワールドカップに夢中な私は、自宅の本棚で見つけた古い本を読んでいます。
「たったひとりのワールドカップ」。
これは三浦和良さんが「ドーハの悲劇」から98年フランスのW杯初出場の際に途中で代表メンバーから外されるまでの闘いが綴られています。
岡田監督がカズはずしをしたことで物議を醸し出しましたが、ここではそれは置いておきます。
この本は私がちょうど10年ほど前、パリ留学の直前にマニラである人から勧められ買ったものです。
当時日本の大学院に在籍してましたが、以前からパリに留学したいと思っていました。
約10倍の競争のロータリー東京の奨学金をいただけることが決まり、留学受け入れ先を探しながら、研究生活をしていました。
その合間にクリニックで診療で生活費を稼ぐ、という目が回るような毎日でした。
それでも、2か月に1回くらいのペースで海外に行っていたと思います。
当時は海外拠点をつくり、国境なく活動をしたいと思っていたからです。
そんな中、パリの留学の直前の7月にラオスに行きました。
WHOのコンサルタントとして行ったので、現地に行く前にマニラのWHO地域事務局でブリーフィングを受けました。
そのときに、マニラのWHOで、パワフルに公衆衛生活動をしたいという気持ちにあふれた元外科医の日本人と出会いました。
この本はその先生に勧められたものです。
その方はその後2003年のSARSの騒ぎのころに北京で自分が強く希望していた感染症の仕事をして、
自身の目標達成に近づいていらっしゃいました。
日本に戻ったら早くこの本を読みたいという気持ちでいっぱいでした。
しかし、その夏は、ラオスから日本に帰ってフランス行きまで1か月もない間に、論文執筆、留学準備。
大変忙しかったので、10月にパリに着きやっと読むことができました。
日本の研究室と何のつながりもない大学院への入学がやっとのことで決まり、孤独で不安でしかし勉強時間は無限にある時期でした。
海外で現地の人と対等にポストを取り合う、そのための努力、精神力。
カズが言いたいことが身にしみて理解でき、元気をいただいたものです。
私は研究室留学だけでは現地標準ではないと思ったので、大学院のコースをとり、
フランス語で10科目以上のテストを受け単位をいただきました。
それが何と大変なことか。
クラスにはフランスに1年住んだことがあるハンガリーの留学生以外、留学生は私一人。学生同士なのでクラスメートは大変優しくしてくれました。
それにしても、当時は仏語に比べて英語がなんと易しく見えたものでしょう。
毎晩、友人のノートの解読と論文読破に何時間あっても足りないような生活をしてました。
日本にいれば診察という仕事がどうしても生活に入りますが、パリでは勉強だけ。
実に集中できました。
その分、自分との戦いでした。
結局パリに住みながら、留学中はルーブルもオルセーも行きませんでした。
パンテオンの図書館通いでした。
結局その後諸々の事情があり、日本で臨床をすべく東京に拠点をおいてますが、
当時は現地でやっていくつもりでした。
そこでいかに仕事を見つけるか、ポストをとるか真剣に考えていました。
カズの時代から20年余り。
現在日本のサッカー選手は今回のW杯を機に海外からオファーが多々来ています。
自分のプレーを見せるきっかけとなるW杯という舞台がある現在の選手は本当に恵まれていると実感してます。
このように、日本人が様々な分野でもっと国際的に活躍できるようになればいいですね。
というわけで久し振りにこの本を読んでみて、15歳でブラジルに渡ったカズの精神力と勇気に久しぶりに目が覚めました。
海外で挑戦しようと思っている方にはおすすめの本です。