健康話の苦労

 最近、健康に関する講演や授業をさせていただく機会が多くなり、自分自身の勉強にもなっている。つくづく思うことは、学術論文ではまだ科学的に正しいとは実証されていないが、臨床上の感覚において、そして科学的に実証されている一部をもってきて、「おそらくそうであろうという推測で語られるレベル」の方が一般の方には喜ばれるように感じられる。
 近年、EBM(Evidence based medicine)と呼ばれる、根拠に基づいた医療が叫ばれている。これは、個々の患者の診療において、研究成果や実用的なその時点での効果的な最良のエビデンスに基づいて、効果的で質の高い患者中心の医療を実践するための手段である。従来、医師個人の経験や勘、慣習により左右されることの多かった診断や治療を、科学的根拠を取り入れることで批判的検証を行い、より有用で適切な医療を患者に提供しようとするものである。現在世界の医学の潮流であり、日本にも浸透しつつある。このようなEvidence base・・・は保健対策の分野でも実施される必要性が叫ばれている。
 では、健康話のような健康教育場面ではどの程度の根拠あるものを伝えるべきなのか。
 健康の講演をしていて思うのは、一般の方はもっと奇抜なものを望んでいるのだ。バナナダイエットがきく!とか、これで何キロ減!納豆が体にいい、とテレビの人気番組で伝えれば夕方にはスーパーから納豆が消えている、とも言われる。
 しかし、私のような医師や研究者というのは、1つ1つ積み上げて検証していくことに慣れているものである。
「睡眠不足は万病のもと」と私はよく話をするが、これを実感している人は多い。実際、様々な患者さんを診る中で、睡眠不足が生活習慣病の誘因になることも簡単に実感できるし、またうつ状態との関連も容易に理解できる。一般の人でもこれくらいは想像できるだろう。しかし、そこで「根拠を実証する」となると適切な研究モデルをデザインしてデータ収集して解析して行かなければならない。当命題としては、実際に睡眠が少ない人の死亡率があがるか、どのくらいの睡眠の者が最も死亡率が低いか、どのような病気の有病率が上がるのか、どのくらい上がるのか、などなど。そのような目的で研究すると仮定して、その手法の妥当性、正当性を検討した上で、これは正しいエビデンスだ、と認められる。医師や研究者が文献検索や学会発表をみて新しい研究成果を楽しめるのは、このような緻密な実証分析の過程を検証しながら、成果物、つまり、「睡眠不足により死亡率が上がる」、「睡眠不足により高血圧は2倍に、糖尿病は4.8倍」などという結果をみるからではないか。そして、その解釈をあれこれ考えたり、他の人の意見を聞きながら、自分の中で新たな疑問を持ったり、と何倍も楽しむのだ。
 しかしながら、このような成果物を講演などで話しても、「あっ、そうですか」という感じのことが多い。睡眠が大切なんて知ってるよ、という顔をされてしまう。特に若い方々には...。実に、根拠に基づいた事実を伝えるだけの健康教育は、それなりの話術がないと白けてしまうのである。確かに当たり前かもしれない。自分だって、車には興味ないから、この車はこのエンジンがこーであーで、タイヤのグリップが...などと語られても右から左に抜けてしまう。むしろ、車にのって高原を走ったら気持ちいいとか、乗り心地がよかったり、そちらの方が大切だ。それと同じなのかもしれない。むしろ、一般の人にはキーワード系や知らない病気の方が受けいれられやすい。
 たとえば、五月病感染症、女性ホルモンとメンタルの問題、そして最近私がよく話をする摂食食害は興味をもっていただきやすい。摂食障害は、日本ではあまりメジャーではないが、欧米では専門の治療施設もあるし、テレビCMもあったりと、啓蒙活動が盛んになっている。故ダイアナ妃が摂食障害で夜中に過食を繰り返していたことは有名である。実際、メンタル外来では、摂食障害の患者さんも多く、日本でも問題になってきている。こういうトピックスはセンセーショナルな例も出せるし、わかりやすく興味の対象になるのだ。
 このように、自分が面白いと感じるものと、皆さんが面白いと思うもののギャップを埋めていくのに苦労している今日この頃。自分の頭の固さを実感している。
 この辺は、以前私が大学院生時代に研究室で大変お世話になり、現在山口大学で教授をしていらっしゃるF先生は天才的な才能の持ち主であった。大学では学生の心をつかみ、専門家向けの勉強会では研究者の心をつかみ、そして地域では住民の心をつかむ、話術のみならず才能豊かな方で、自分が講演の準備をしているときはよく思い出してはうらやましく思う。